仙台僧侶派遣の真言宗成田山国分寺インスタグラム

開眼供養

真言宗成田山国分寺の開眼供養

開眼供養かいげんくようとは

 真言宗成田山国分寺では仏壇、墓、仏像の開眼を執り行っております。仏像になる像は完成の間際に目を描きこむ点睛てんせいによって開眼し、物としての像から魂が入った仏像となって完成します。そのことから点睛が「開眼供養」の儀式になりました。仏壇、墓を新しくした時に僧侶を招いて営まれる法要も開眼です。新たに仏壇を設置しても、墓石を建てても、開眼しなければそれはただの壇と石という物にすぎません。開眼をすることによって魂を入れて、はじめて仏壇、墓になるのです。仏壇の場合は御本尊を迎え入れる儀式、墓の場合は故人の魂を墓石に向かい入れる儀式が開眼供養なのです。墓を建てた時には、墓に邪気が入らないように長方形の棹石さおいしに白布を巻き、開眼のときにはずします。墓の開眼供養に適した日は特にありませんが、一般的には四十九日や1周忌などの法要にあわせたり、初盆前の納骨にあわせる場合が多いようです。開眼が他の供養と大きく違う点があります。それは開眼はお祝い、つまり慶事であるという点です。そのため開眼供養の僧侶へのお礼も慶事用紅白水引熨斗のし袋に表書きを「開眼供養御礼」などとして渡します。墓の場合は、開眼と同時に納骨法要も行われるのが一般的です。そのため僧侶へのお礼の熨斗袋は慶事用紅白水引の「開眼供養御礼」と、納骨のための弔事用の熨斗袋「御仏前」の二つを用意します。開眼供養と納骨法要が同時の場合、納骨に合わせてひとつにまとめてお礼を渡すこともあります。まとめてお礼を渡す場合は慶事用紅白水引や弔事用の熨斗袋ではなく、白封筒に表書きを「御仏前」とします。

 浄土真宗(本願寺派・大谷派など)では、魂を入れるという概念が無いため、教義の違いにより開眼供養を用いず仏壇の場合は「入仏慶讃法要」 、墓の場合は「建碑慶讃法要」とします。
開眼供養の反対で墓石や仏壇を物にもどす儀式を「お魂抜きの法要」「ご芯抜きの法要」といい、真言宗成田山国分寺でもこれらの法要を執り行っております。

東大寺大仏の開眼供養

 日本で特に有名なのが東大寺大仏の開眼供養です。NHK大阪放送局制作古代史ドラマスペシャルとして平成22年(2010)にNHKで放送された「大仏開眼」は平成22年度文化庁芸術祭参加作品に選定されました。東大寺大仏の開眼供養は天平勝宝4年(752)旧暦4月9日におこなわれました。東大寺大仏に点睛をして開眼供養をしたのがインド(天竺)から中国(唐)を経て日本にやってきた僧侶菩提僊那ぼだいせんなでした。開眼供養のとき菩提僊那は点睛の筆に五色の紐をつけて集まった人たちに持たせ開眼供養の慶事の御利益が祝いに集まった人みんなに行き渡るようにしました。その筆が正倉院に保管されています。東大寺大仏は源平合戦で炎上しましたが、文治元年(1185)に再建され、菩提僊那が開眼供養に使った正倉院の筆で後白河法皇が再建された東大寺大仏に点睛をして開眼供養をしました。

菩提僊那ぼだいせんなの開眼供養

 東大寺大仏開眼供養をした菩提僊那はインドに生まれ青年の時期にヒマラヤの難所を超えて仏教の本場中国(唐)へ入ります。若い菩提僊那にとって仏教の本場中国(唐)は憧れの地でもあります。唐滞在中に日本からの入唐僧理鏡や第十次遣唐使副使中臣名代らの要請により、天平8年(736)に来日しました。菩提僊那にとって憧れの仏教の本場中国(唐)を離れるのも心のこりでしたが進展地の日本での布教に情熱をもったのです。はじめ九州の大宰府に赴き、行基ぎょうきに迎えられて平城京(奈良)に入ります。天平勝宝3年(751)僧正に任じられ、翌年4月9日(旧暦)に東大寺大仏の開眼供養の導師をつとめます。菩提僊那は、聖武天皇、行基、良弁とともに東大寺「四聖」としてたたえられています。天平宝字4年(760)2月25日に大安寺にて、故郷であるインド(天竺)のある西方を向いて合掌したまま入定にゅうじょう(死去)されたのです。その功績で東大寺大仏開眼供養1250年の法要に際して菩提僊那像が造られ東大寺本堂に安置されています。東大寺大仏開眼供養をした菩提僊那像の目が緑色なのがインド(天竺)出身であることを物語っています。

行基ぎょうき

 菩提僊那を平城京(奈良)に迎えたのは行基です。行基は、天智7年(668)に河内国大鳥郡(現在の堺市)に生まれ、15歳で出家し義淵ぎえん道昭どうしょうのもとで仏教を学びます。青年期に山林修行で優れた呪力・神通力を身につけました。37歳から民間布教を始めますが、朝廷より民衆を惑わすとして、布教活動を禁止されてしまいます。しかし開墾、池溝開発における行基の活躍による名声が各地に広まり、朝廷も行基の影響力を無視することができませんでした。天平15年(743)朝廷は東大寺大仏を作ることを決定しますが、朝廷の力だけでは足りず、行基の人気が必要になりました。聖武天皇は天平17年(745)1月に行基を大僧正に任じます。そして行基の指導のもと、東大寺大仏づくりが続けられます。行基は天平21年(749)に82歳で入定しました。その後天平勝宝4年(752)東大寺大仏が完成して菩提僊那が開眼供養をしますが、もし行基が存命であれば行基が開眼供養をしたのかもしれません。

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